白いぼうし 読む力を鍛える

白いぼうしの学習が終わりました。
じっくりと、音読の仕方、読むこと、書くこと、話すことなど
一年間を貫く大切なことをこの単元で教えました。
 概ね次のようなことを学習しました。
   音読(音読の仕方、声の出し方)
   登場人物について
   松井さんについて
   松井さんが夏みかんを置いたことについて
   ちょうは女の子なのか。
①音読

 授業において、音読はとても重視しています。すらすら読めて初めて、読解の領域に到達できます。どの子にも授業の中で音読を全文10回以上するような時間を確保するようにしています。もちろんただ読んでいるだけでは、飽きてしまいますから、交代読み、竹の子読みなど様々な音読の仕方を教えて、楽しく音読する習慣をつけました。また、音読する時の姿勢(教科書を両手で持つなど)や声の大きさなどに

ついても教えました。単元が終わるころには、子どもたちの音読は見違えるほど良くなりました。
②登場人物について
「登場人物なんて簡単でしょ。」と思われる方もいますが、
これ1つで5時間くらいの授業ができます。それくらい登場人物は奥が深いです。
クラスで確認した登場人物の定義は
物語の中で、人間のように考えたり行動したりする人や物のこと
としました。その上で、登場人物を書き出しました。
子どもたちから出てきたのは次のものでした。
松井さん、お客さん、しんし、たけのたけお、もんしろちょう、
女の子、太ったおまわりさん、お母ちゃん、夏みかん

 

この中で、意見が分かれたのは、お母ちゃんと夏みかんでした。これらは入るのか?定義に戻りながら、子どもたちは意見を交わしました。その結果、お母ちゃんは自分から行動している描写はないが、たけおくんに引っ張られている描写があるので、登場人物に入れることにしました。夏みかんは行動していないので入れませんでした。これだけでもかなり盛り上がりました。

 

③松井さんについて
 主役である松井さんについて、「松井さんはどんな人か?」と問いました。
単純に『やさしい人』と答えることは簡単ですが、大切なのはどこを根拠にして
考えたかです。国語という勉強は文をもとに考えることが大切です。
国語科の中学年の指導事項には、次のように書かれています。
場面の移り変わりに注意しながら、登場人物の性格や気持ちの変化、
情景などについて叙述を基に想像して読むこと。
つまり、教科書の文を根拠にしながら読むことが大切なのです。
そこで、子どもたちには意見の基本的な書き方を教えました。
私は○○だと考える。
理由は○つある。
第一に・・・
第二に・・・

 

 このような基本的な書き方を身に付けることで、
意見を書く事が上達していきます。 
【例】

私は松井さんがやさしい人だと考える。理由は、2つある。

第一に、教科書p11の13行目からp12の1行目の

「おや、車道のあんなすぐそばに、小さなぼうしがおちているぞ。

風がもうひとふきすれば車がひいてしまうわい。」のところで、

知らない人の帽子を気にするところが優しいと思う。

第二に、p13の3行目から4行目の「せっかくのえものがいなくなっていたら、

この子はどんなにがっかりするのだろう。」のところで、

知らない子に気にかけるところがやさしいと思う。


④松井さんが夏みかんを置いたことについて
 子どもたちの中で、こんな意見がありました。
「松井さんはちゃんとたけおくんに謝ってないよね。」たしかにそうなのです。
夏みかんを置いて、たけおくんには一度も会っていません。
これを課題にすることにしました。
「松井さんが夏みかんを置いたことに賛成ですか?それとも反対ですか?」
 子どもたちの中でも意見が分かれました。
賛成→26人 反対3人

 

 圧倒的に、賛成多数です。しかし、国語は多数決ではありません。しっかりと教科書を根拠に意見を話し合う中で、自分の考えをより深められればいいのです。とは言っても、圧倒的に不利な反対派の人たちを見捨てるわけにはいかないということで、私も反対派にまわりながら、話し合いをしました。

【反対】
 私は松井さんが夏みかんを置いたことに反対だ。理由は1つある。
第一に、松井さんはちょうを逃がしてしまって、幼稚園の子がそのちょうをつかまえたと
分かっているのに、そのままにしていくよりはいいが、他のちょうをつかまえずに、
松井さんの夏みかんを置いていったからだ。
【賛成】

 私は松井さんが夏みかんを置いたことに賛成だ。理由は5つある。第一に、ぼうしからもんしろちょうを逃がしてしまったのは、風がもうひとふきしたら、白いぼうしを車が引いてしまうと思ったからだ。第二に、「せっかくのえものがいなくなっていたら、この子はどんなにがっかりするだろう。」というところから、ぼうしの持ち主のことを考えていて、なくなっているよりは良いと思ったのではないかと私は考えた。だから、夏みかんを入れたのだと思う。第三に、松井さんは虫取りあみを持っていないので、もんしろちょうはつかまえられないから、他にぼうしの持ち主が喜ぶ物と考えた時に、夏みかんを思いついたのだと思う。第四に、ぼうしの持ち主がもんしろちょうより、夏みかんの方が喜ぶと思ったのかもしれない。第五に、夏みかんはもんしろちょうを逃がしてしまった謝りだと考えた。

 

このような意見が出ながら、子どもたちは話し合いを進めていきました。すると、Aさんがぽろっと次のように言いました。「仕方なく夏みかん入れたんだよ。」その言葉を聞いて、私は次のように言いました。「先生、Aさんに賛成。たまたま夏みかんがあったから、あげただけで、別のものでも良かったんだよ。だから、そんなに悪いと思ってないんじゃないの?」

 

すると、子どもたちがだんだんヒートアップして怒り始めます。「先生、違うよ!!」「松井さんにとって特別なものなんだよ。」だんだんむきになる子どもたちに私は次のように言いました。「だって特別だなんて書いてないじゃん。」すると、Bさんがぽつりとつぶやきました。すかさず、私はBさんにみんなに聞こえるように言ってごらんと言いました。「おふくろからもらったから大事なものだと思う。」

 

 

さらに他の子たちが続けて話をしていきました。
「おふくろからもらった一番大きなものを乗せていたんだから、大事なものだと思います。」
「においまで届けたかったお母さんの思いがつまっている」
「速達だから、特別に速く送ってくれたもの。」
「夏みかんにはおふくろの優しさがつまっているんだ。」
 一気に子どもたちの中で、夏みかんというものへの価値、
そして、松井さんの行動の意味が深まった瞬間でした。
 その上で改めて、子どもたちに聞くと、全員の子どもが納得した表情
で夏みかんを置いたことに賛成する意見となりました。

 子どもたちは何となく松井さんは優しい人だとは理解していますし、読めてもいます。しかし、それをもう一歩深く理解するために、このような話し合いは大切です。夏みかんを入れることに賛成か、反対かを決めることは目的ではありません。手段です。大切なことは、その話し合いを通じて、松井さんの人柄について文章を根拠に読み取ることができるかが目的なのです。そういう意味で、子どもたちの話し合いは価値があったと思っています。まだまだ、教師がどうしても出る場面が多いですが、これが4年生の終わる3月には、自分たちだけで深めていく話し合いにきっとなります。 

   

⑤ちょうは女の子なのか。
 さて、この白いぼうしの学習を始めた当初、
Cさんがポツリと私に尋ねてきました。
「先生、女の子ってちょうなの?」私はにこりとして、
「すごくいい疑問だね。それ今度話し合おう。」と約束していました。
松井さんの人柄については十分過ぎるほど話し合ったのですが、
子どもたちの中で気になっている子が多かったので話し合うことにしました。
【意見の例】

 私は、女の子はちょうだと考える。第一に、p16の9行目に「バックミラーにはだれもうつっていません。ふりかえってもだれもいません。」だから女の子はちょうになったと考える。第二に、「白いちょうが二十も三十もいえもっとたくさん飛んでいました。」は、女の子がちょうになり、ちょうたちをつれてきたのではないか。第三に、p17の7行目「よかったね。」は女の子が言ったんじゃないかなと思う。

 

 ぼくは女の子がちょうだと考える。
理由は二つある。第一は教科書の16ページの8行目に
「バックミラーにはだれもうつっていません。」という所で、
女の子はちょうになってにげたと考える。
第二に、松井さんがぼうしをつまみあげて、出てきたもんしろちょうが、
女の子になって、タクシーの後ろの席に乗ったと考える。
第三に、タクシーの後ろに乗ってちょうが、逃げて小さな団地の前に行った。
そして、「よかったね、よかったよ。」と言ったちょうが女の子だったのだと思う。
第四に、男の子が来たから、女の子が「早く行ってちょうだい。」
と疲れたような声で言ったと思う。

 女の子はちょうだと考える。理由は5つある。
第一に夏みかんをとりにいった時は、車に女の子はいなかったけど、
夏みかんを置いて車に戻ってきたら、女の子がいて、最後に小さな団地で
女の子は後ろのシートにはいなかった。
また、ちょうは、「よかったね。」「よかったよ。」「よかったね。」「よかったよ。」
とちょうがしゃべっている。だから、私は女の子はちょうだと思う。
第二に、教科書p15に「早くおじちゃん。早く行ってちょうだい。」と言ってて、
もしも言っていなければ、私は女の子がちょうだと思わなかった。
これは、あの男の子にまたつかまえられるとちょうが思ったから言ったと考える。
第三に、ちょうが高く舞い上がった時、ちょうはうれしい合図をおくったのかもしれない。
第四に、仲間の所に行ったのは、女の子だからだ。だって、仲間の所まで自分で行くと
どこがどこだか分からなくなるけれど、タクシーで行けば、道を知っていて、
すぐに行けるし仲間のところに行けるからだ。
第五に、教科書14ページの左から5行目に
「え?・・・あの、あのね、菜の花横町ってあるかしら。」のところで、
「え?」って言っているということは、あまり知らないということなので、
ちょうだと考えた。
  
さて、完全に「ちょうは女の子だ。」という意見が多数を占める中、
Eさんが話し合いの中で、こんな反対意見を言いました。
「わざわざ松井さんのタクシーに乗らなくてもいいんじゃないの。
バスとかじゃだめなんですか?」このような屁理屈みたいな意見がものすごく大切です。
たしかにその通りです。「どうして女の子は、松井さんのタクシーに乗ったのですか?」
子どもたちの中で、また1つ疑問が出てきました。

 

 

子どもたちは次々に友だちと交流しました。
交流して話し合うことで、1人では考えもしなかったことが浮かぶ場合があります。
この日も次々に、今までに出てこない意見が出てきました。
「松井さんと2人だけなら逃げやすいからだ。」
「菜の花橋に行くためにはタクシーが行きやすい。タクシーなら言うだけで行ってくれる。」
「夏みかんのにおいがタクシーにまだ残っているから。」
「バスを探していたらもっと、迷子になる。」
色々な意見が出ましたが、最も子どもたちにとって有力な意見は次のようなものでした。
「松井さんは自分(ちょう)を逃がしてくれた、優しい人だから。」
 
女の子(ちょう)にとって逃がしてくれるような恩人だからこそ、
きっと助けてくれると思ったというのが多くの子の考えだったようです。
最後に子どもたちに聞いてみました。
「女の子がちょうかどうかは先生にも分かりません。
皆さんは女の子がちょうだったというお話と女の子がちょうではないというお話、
どちらが魅力的に感じますか?」
 4年3組では、多くの子が女の子がちょうだと考えた方が面白いと手を挙げていました。
でも、答えは分かりません。このような作品を『ファンタジー』ということを教えました。
読者に、ちょっぴり不思議なそれでいて、
温かな気持ちにさせる読後感がこの作品の魅力かなと私は思います。
 
 子どもの疑問からスタートしたこの読み取りによって得られたことは、
視点を転換して読む

ということです。子どもたちはこれまで、松井さんを視点に、作品の内容や松井さんの人柄を読み進めていました。しかし、今回女の子の視点に立って作品を読んでみることで、改めて松井さんの人柄に触れることができました。この経験は、今後作品を読み進めていく際に大きな財産になることでしょう。